近代日本のベストセラー作家、福沢諭吉
2018/07/01
福沢諭吉(1835-1901年)の代表作と言えば『学問ノスゝメ』です。
全部で17編のシリーズもので、初編が1872(明治5)年に、1876(同9)年に最後の第17編が刊行されました。
大政奉還、明治維新直後であるこの時期に、封建社会だった我が国がこれから民主主義の国に生まれ変わることを説いた画期的な書物です。たとえ話を多く用い、分かりやすい文章で新思想を語り、人気を集めました。
全部で17冊発行されましたが、福沢諭吉自身が「一冊20万部は売れたと思う」と言っており、合計で340万部という大ベストセラーです。
思想家として多数の著書があり、いずれも支持を得た諭吉ですが、『福翁自伝』という著書はちょっと特別です。
1899(明治32)年、諭吉の最晩年に出版されたもので、版元は時事新報社。時事新報社は、諭吉が興した新聞社です。
これまでの人生の思い出を諭吉が語り、それを速記者が口述筆記したものを時事新報に連載し、のちにまとめて単行本にしたそうです。
「思い出すままに話したことで、細かいところははしょってしまったので、あとで書き足し、また、開国や幕末外交のことも記して、自伝のあとにつけようという計画であったが、先生が病にかかったので果たせずにいる」という意味のことを、時事新報社の石河幹明主筆が記しています。
『福翁自伝』には、学問を志す過程などはもちろんですが、おもしろいエピソードも満載です。
お稲荷様のほこらを開けて、中に自分が適当に拾ってきた石を入れておいたというイタズラの話や、書生時代、お酒に酔って裸のまま2階の自室で寝ていたところ、その家の奉公人に名を呼ばれて目が覚め、面倒だったので裸のまま階下に降りたら、奉公人ではなく奥さまだったという失敗談などなど。
「裸事件」の際は、うろたえてしまってその場で謝ることもできず、翌朝は恥ずかしさのあまりやはり謝ることができず、そのままになってしまったそうです。
「先年も(その)家に行って」「思出して、独り赤面しました」など、思わずクスリと笑ってしまう語り口で、当時の人たちがどれほどこの本を楽しんだか、想像できますね。
いつの時代も、著名人のユーモラスな打ち明け話というものは、人気が高いものであるようです。
『自伝』はこんな言葉で終わっています。
「これまでの人生を振り返り、思い残すことは何もなく、愉快なことばかりであった」
「しかしまだまだ欲もあり、健康な間は、この国の人々の気品を高尚に導くことなどに力を尽くしたいと思っています」――