日本の開国――本も「和装」から「洋装」へ
2018/12/01
和紙をひもで綴じる「和装本」。
ページは、文字や絵が書いてある面が外側になるように折ってあります。
現在のように、一枚の紙の表裏に印刷して、丈夫な紙で表紙をつける「洋装本」は、明治の開国とともに始まりました。
1873(明治6)年に、印刷局のお雇い外国人である製本師のパターソンという人が、洋装本の手法を日本人に伝えたのです。
まず、官公庁や銀行など、日誌や帳簿を長期にわたって保存する必要があるところで取り入れられました。
和装本は、ページが袋とじになっていてめくりにくい、固い表紙がないので手に持って読むことができない(机の上に広げたり、書見台に乗せたりする必要がある)、書棚に立てて保管することができない――などの理由で、このような帳面は、洋装が好まれたのです。
そして、それまで「紙」といえば手すき和紙でしたが、洋紙が国産で作られるようになるのと同時進行で、書物でも洋装本が取り入れられます。
まずは、製本方法はそのままで、中身は木版印刷(版画のようにページ全体を板に彫って、刷る)から活字による活版印刷に変わった、和洋折衷の本が出ます。
その後、1880年代中盤(明治10年代後半)に、表紙に板紙を使うようになります。「ボール表紙本」と呼ばれ、一見、洋装本ですが、和装本と同じくひもで綴じられています。ほぼ同時期に、現在のペーパーバックのように、表紙の紙で本文をくるむ方法での製本も始まります。
そうして、明治末期には、ほぼ洋装本に移行しました。
衣服の完全な洋装化に比べると、かなり早いですね。
夏目漱石や泉鏡花の作品は、美麗な装丁で出版され、「漱石本」「鏡花本」とも称されています。特に漱石は、自ら装丁も手掛けました。
また、尾崎紅葉や室生犀星も、装丁にこだわった作家として知られています。
少年時代にはおそらく和装本を読んでいたであろう明治生まれの文豪たちが、洋装本の装丁にどれほどワクワクしたか、想像すると楽しくなりますね。
ダブルでは、革風や金箔風の特殊紙もご用意しております。
箱入り・ケース入りも対応いたします。
ぜひ、文豪たちのように、装丁には思いっきりこだわってください。